山崎菅原神社の御由緒

御祭神 菅原道眞公
御神徳 学業成就 

 当社が創建された年については諸説ありますが、一説には延久2年(1070)3月のある夜、菊池肥後守則隆公(菊池氏の初代)の霊夢に菅原道眞公が現れ、託宣によって筑前國太宰府安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)より肥後國詫磨郡白川のほとり南領森本(もりのもと)に勧請されたとあります。
 菅原山天満宮と号された当社は社殿を建立され、崇敬篤く奉斎されました。やがて山崎村近辺の田畑を寄進され、その地に遷座されました。江戸時代の地図には現在の鎮座地よりやや西(現在の桜橋南岸附近)に鎮座されていたことが記されています。また、地図には天神丁や山崎天神丁といった町名も記されています。
 当社は肥後熊本藩の初代藩主細川忠利公の尊崇も篤く、社頭の額並びに神前の松が寄進され、外塀も修復されました。安永8年(1779)には6代藩主細川重賢公により再興されました。また、幕末の国学者として知られる林櫻園は、1日も欠かすことなく当社を参拝していたと伝えられています。
 当社は明治に入り社号を菅原神社と称するようになりました。明治10年(1877)の西南戦争に際し、残念ながら社殿はことごとく焼失してしまいました。その後、熊本鎮台開設の際に境内地を収用され、明治12年(1879)に山崎新道に遷座されました。この頃より氏子崇敬者から山崎菅原神社又は山崎天神と称されるようになりました。更に明治25年(1892)には山崎町新市街に、大正4年(1915)には現在の鎮座地である天神町(現在の桜町の一部)に遷座されました。現在では学問の神様、山崎地区(現在の慶徳校区にほぼ相当する区域)の氏神様として、篤く崇敬されています。
 現在の社殿は明治43年(1910)に造営され、昭和16年(1941)に拝殿が増築されました。昭和20年(1945)の熊本大空襲では奇跡的に焼失を免れ、現在にその姿を残しています。