ひとひらのことのは

質問 今年祖父が亡くなったのですが、来年の初詣でに行ってはいけないのですか?

回答 お祖父様がいつお亡くなりになられたかによります。ご逝去されてから五十日を過ぎていれば、初詣でに行かれても構いません。

家族や親族が亡くなった時に、身内の人間は喪に服しますが、これについて定めたものが服忌《ぶっき》制度で、「忌」とは故人の祀《まつ》りに専念すること、「服」とは喪に従い、死者への哀悼の気持ちを表す期間のことをいいます。

服忌については地域の慣例もありますが、一般的には五十日祭(仏教では四十九日)までが忌の期間と考えられています。期間中は神社への参拝を遠慮しますが、やむを得ない場合は、お祓いを受けて参拝することも可能です。

また、神棚についても忌明《きあ》けと考えられている五十日祭までは、神棚の前面に半紙を貼り、神棚のお祀りを止めます。

もし年末年始が忌の期間に重なる時は忌明けの後に御神札《おふだ》をお受けください。
 
※神社新報社刊「神道いろは」参照


新嘗祭を斎行

平成26年11月23日

本日は新嘗祭を斎行いたしました。日本書紀によると、皇御孫命(すめみまのみこと、天照大神の孫である瓊瓊杵尊<ににぎのみこと>のこと)が高天原より葦原中津國(あしはらのなかつくに、日本のこと)に降臨される際に、天照大神が斎庭の稲穂(ゆにわのいなほ)をお授けになりました。皇御孫命は葦原中津国でこの種をお育てになり、これが我が国の農業の始まりとなったのです。このご神恩に対する感謝のお祭りが新嘗祭です。

この日は天皇陛下が装束を着け、皇居内の神嘉殿(しんかでん、天皇が神々をお祀りになるための建物)にて五穀豊穰を神様にご奉告され、おんみずから新穀をご神前にお供えになり、ご神恩を感謝された後、おんみずからもお召し上がりになります。その宮中の儀にならい全国の神社でも新嘗祭が執り行なわれます。

本日11月23日は戦前も戦後も祝日ですが、昭和21年までは「新嘗祭」と呼ばれる祭日でした。しかし、占領軍に名称を変更させられ「勤労感謝の日」になりました。「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としています。

ちなみに海外では宗教にゆかりのある祝日は珍しくありません。政教分離が徹底していると言われるアメリカやフランスでも、クリスマスを始めキリスト教関連のお祭りの日が祝日になっています。

ハロウィンやクリスマスで盛り上がるのもよいとは思いますが、こうした日本古来のお祭りにも関心を持ってもらえたらと思います。


参考文献及びサイト
・神社本庁教学研究所監修 『神道いろは』 神社新報社
・國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂
・ウィキペディア


ご社名の由来

平成26年09月04日

当社のご社名は山崎菅原神社(やまさきすがわらじんじゃ)ですが、参拝者の方から、「こちらの神社は桜町にあるのに、なぜ山崎菅原神社と言うのですか?」と尋ねられることがあります。

当社は江戸時代には現在の桜橋南岸にご鎮座していましたが、明治10年(1877)の西南戦争に際し、ご社殿はことごとく焼失してしまいました。

その後、熊本鎮台開設の際に境内地を収用され、明治12年(1879)に山崎新道(現在の三井ガーデンホテル附近)にご遷座されましたが、その頃から山崎町にある菅原神社(天神)ということで、山崎菅原神社または山崎天神と呼ばれるようになったようです。その後新市街にご遷座され、大正4年(2015年)に現在地にご遷座されました。

ちなみにその頃の「山崎町」は現在とは違い、北は現在の当社附近、南は白川のほとりまでと、かなり広い範囲に及んでいました。

また、当社のご由緒には、ご創建された後に山崎村近辺の田畑を寄進され、その地にご遷座されたと記されています。このように、当社は山崎地区の氏神様であり、当社と「山崎」という地名には深い関わりがあるといえます。


境内の風景(平成26年5月)

平成26年05月18日




境内のあじさいのつぼみがだいぶふくらんできました。挿し木から育てたあじさいも根が張ってきたので、一回り大きな鉢に植え替えました。


昭和祭を斎行

平成26年04月29日

本日は昭和祭を斎行いたしました。本日「昭和の日」は昭和天皇の御生誕の日にあたり、昭和祭は「昭和の日」の制定に合わせて新たに制定された祭典です。「昭和の日」の制定の趣旨は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」となっています。


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