ひとひらのことのは

現在、光母子殺害事件の差し戻し審の控訴審が行なわれています。その中で、こういう場面がありました(以下の赤字で書かれている文章は、被告の弁護人である今枝仁弁護士のブログより転載)

被告人が、最後にそう述べた。

検察官が、「私は見たんだが、あなたは、先ほど、遺族の意見をメモしながら、すーっと1本線を引いて消したね。あれはどういうことか。」と聞いたのに対し、そのメモを示し、「そんなことはしていない。」と弁明した。

被告人は、そのメモを、検察官と被告人に示し、そのような線は入っていないことを示した。弁護人が、検察官が新たな濡れ衣を着せようとしたと反発し、「検察官は、誤りについて、撤回し謝罪されたい。」としたのに対し、検察官は、「その必要はない。」と返した。

検察官が被告人への偏見から勘違いを起こしたことに、怒りを覚えた私が、被告人に、「君に対し厳しい見方をされてこういう誤解も生じるから、これまでも、そしてこれからも、君に対してこういう誤解や濡れ衣(※検察官が、メモに線を引いたと非難したことを象徴)は、ずっと続いていくだろうが、その中でも君はくじけず強く生きていけるのか。」と聴いたところ、被告人が「はい。・・・検察官は、僕をなめないでいただきたいですね。」と答えた。


これだけでは被告人の言動を判断できないので、この場面を傍聴した、フジテレビの情報番組「とくダネ」の大村リポーターの話を、「you tube」という動画投稿サイトでチェックしてみました。

大村レポーターによると、被告人は検察官にメモを見せた後、被告人は検察官からメモを引ったくるようにして受け取り、それから裁判官のところに向かい、裁判官に向かってメモを叩き付けたのです。この場面の1分前には泣いていたそうですが、態度を豹変させた訳です。口では反省してるといいながら、心の中ではそう思ってないというのがよく分かります。本当に自分が悪いことをしたと思っているのなら、こういう態度は取れません。口でどう取り繕っても態度に出てしまうのです。

このことを知ると、集中審理の後の記者会見で、被害者の夫であり父である本村さんが被告人に対して、「やはり君には死刑が相当である」と発言した心境がよく分かります。わたしも本村さんに同感です。今回の被告人の態度を見て、そう強く感じました。


※関連記事
光市母子殺害事件について思うこと(その1)


みなさんは光市母子殺害事件のことをご存じでしょうか。平成11年の4月に、山口県光市で、当時18歳の少年が強姦目的で社宅に押し入り、女性(当時23歳)とその娘(生後11ヶ月)を殺害した事件です。この事件で最高裁は検察側の上告に対し、広島高裁の判決を破棄し、審理を差し戻しました。現在広島高裁にて差し戻し審の公判が行なわれています。

私は被害者の夫である本村洋さんと、被害者である妻の弥生さんとの書簡と育児日記をまとめた『天国からのラブレター』を読みました。2人が強い絆で結ばれた夫婦であったことが、この本から伝わってきました。ご夫婦と娘さんの3人の幸福な生活が理不尽な形で終わりを迎えたことに、改めて憤りを感じずにはいられませんでした。

さて、この事件の被告には現在21人の大弁護団が結成されています。冤罪の可能性があるのなら、分からないでもありません。ですが、この被告は、弥生さんを殺害した後に屍姦し、弥生さんに近付いてきた娘さんの夕夏ちゃんを床にたたきつけるなどした上、首に紐を巻き付けて窒息死させるという、残忍極まりない犯行を犯しているのです。

では、何故大弁護団が結成されたのでしょうか。その理由の1つが少年の死刑を回避させるためと言われています。この事件の主任弁護士の安田氏は死刑廃止論者で知られています。死刑廃止を主張することは構わないのですが、自らの主張をアピールするために裁判を利用するのが許せません。弁護団の主張をいくつか挙げてみましょう。

・強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた。
・(夕夏ちゃんを殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ。
・(検察は)被告を極悪非道の殺人者に仕立て上げ、死刑にしようとしている。
・屍姦は被害者の生命を復活させるための儀式であった。

こじつけにもほどがあるのではないかと思います。自らの主張を通すためだったら、どんなことでもやっていいのでしょうか。そのことが本村さんの心を傷付け、弥生さんや夕夏ちゃんをも侮辱することに、彼らは気付かないのでしょうか。

私は死刑は必要であると思います。死刑は犯罪抑止のためだけにあるのでもなく、被害者の復讐のためだけにあるのでもない。犯した罪を償うためにあるのだと思います。「自らの命を以てしか償えない罪はある。」とわたしは思いますし、この事件に関しても、被告は死刑に値する罪を犯したと思います。

本村さんは被告に対し死刑を望みながらも、「自分が本当に正しいことをしているのだろうか」と苦悩されているようです。私には、「先進国は死刑を廃止している」「死刑は残忍な刑罰だから廃止すべきだ」といった、自らの主張が絶対に正しいと思っている人たちの言葉よりも、本村さんの言葉が心に響きます。

まだ裁判は続くようですが、結審までこの裁判の成り行きを見守っていきたいと思います。


※この日記についてはウィキペディアの光市母子殺害事件の項目を参照(一部引用)しました。


最近の子供の名前を見ると、振り仮名が振ってないと読めない名前が多いようです。そこまで凝らなくてもと思う名前も、まま見受けられます。

これは私個人の意見ですが、名前は読みやすくて言いやすい名前がよいと思います。あまり凝った名前を付けると本人が大変です。また、読んだり覚えたりする方も困ります。それに、日本語は漢字を使っていることと名前の数が多過ぎるということがあって、名前を電話で説明するのが結構大変なのです。キリスト教圏では、名前は基本的に聖人(ポールとかジョン)の名前を付けるので、そんなことはないのですが、日本ではそうはいきません。発音を言って、漢字を当てはめなくてはならないのです。わたしの下の名前は「正広(まさひろ)」というので、「正しいに広い」と説明するだけでいいのですが、あまり使われない漢字だったり難解な漢字だったら大変だと思います。

外国でも呼びやすい名前をと言って、外国風の名前を付ける人もいますが、これもどうかと思います。「何故おまえは日本人なのにそういう名前なのだ。」と言われるのが関の山です。

また、名前というと姓名判断が思い浮かびますが、それについてわたしの尊敬する宗教家である故高千穂正史氏は、「全く気にしなくてよいのです。もし名前でその子供の人生がきまるというのなら、必ず一億円の宝くじの当たる名前(中略)、病気にかからない名前を付けて貰えばよい。」と述べています。全くその通りですね。姓名判断を否定する必要もありませんが、こだわる必要もないと思います。

それよりも、漢字の字面や持つ意味にこだわった方がいいのではないでしょうか。自分の名前というものは、一生のうちで見ることがもっとも多い文字と思います。当然本人に及ぼす影響も大きいでしょう。以前に悪魔ちゃんと命名されようとした子供がいましたが、もし本当にそう名付けられていたら、まともな性格の子供には育っていなかったのではないでしょうか。「名は体を表わす」とはよくいったものです。

この日記を書く時にネットでいろいろ調べていたら、徒然草にこういう文章があることを知りました。下に引用してみます。

寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、 少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、 いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

意味はこうです。

寺院の名前などありとあらゆる物の名前をつけることに、昔の人はそれほどこだわりもせず、ただあるがままの名をつけていたものである。ところが近頃は名前 をつけることに固執し、その者の知識をひけらかすかのごとく、名づけに凝るようになったという。なんと無意味なことに苦心するものなのだろうか。さらに は、人の名前にも、あまり使われることのない文字を当てようとする風潮まであるらしい。 何事においても、世に多く見かけないことばかりを追い求めようと好んで異説を取り入れるのは、まず考えの浅い者たちがすることなのである。

吉田兼好は700年も前にこういう文章を書いていたのですが、いろいろと考えさせられます。


君が代伴奏訴訟の上告棄却

平成19年02月28日

昨日君が代伴奏訴訟について、最高裁が初の判断を下しました。君が代伴奏訴訟がどういったものかについて、産経新聞グループのサイト「イザ!」の記事より、一部引用いたします。

東京都日野市立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏を拒否して戒告処分を受けた音楽教諭の女性(53)が、「校長の職務命令(伴奏指示)は思想、良心の自由を侵害するもので憲法違反」として処分取り消しを求めた行政訴訟の上告審判決が27日、最高裁第3小法廷であった。那須弘平裁判長は職務命令について「思想および良心の自由を定めた憲法19条に反するとはいえない」との初判断を示した上で女性教諭側の上告を棄却した。女性教諭の訴えを退けた2審・東京高裁判決が確定した。

今回の最高裁の判決は当然と言えましょう。さすがに最高裁だけあって、良識ある判断を下してくれました。教師が思想信条の自由を主張して国歌を演奏しないようでは、子供たちが気の毒です。教師は思想信条の自由を履き違えているのです。思想信条の自由が尊重されるのは当然ですが、それを尊重することによって他人の思想信条の自由を侵害するようではいけません。

これに似たような裁判について昨年の9月24日の記事で、わたしの見解を述べています。これを読んでいただければ、わたしの国歌や国旗にする考え方を理解していただけると思います。

この裁判を起こした教師が、今回の最高裁の判決にも不服だというのなら、公立学校の教師を辞めていただきたいと思います。自分たちの思想をこれ以上生徒に押し付けて欲しくありません。自分たちで塾なり学校なりを作ればいいと思います。そこで国歌や国旗を教えなければいいだけの話です。


憲法第9条

平成19年01月13日

先日、防衛庁が防衛省に移行しました。このことに批判的な方も多いようですが、わたしは賛成です。諸外国の国防組織の多くは省レベルです。それくらい防衛というのは重要視されています。日本も世界標準に合わせただけです。省移行により省令の制定・改廃を比較的速やかに行なえるというメリットもあります。

防衛庁の省移行に伴い、憲法9条に関する議論もますます過熱していくことでしょう。以前のブログに載せた記事を加筆修正の上、転載いたします。


最近、憲法を改正しようという話をよく聞きます。また、憲法を改悪するなという声もよく聞きます。憲法を変えるなという人たちの多くは、憲法の中の9条の改正に反対しているようです。

「憲法9条の話はよく聞くけど、9条ってどんな文章だっけ」という方たちのために9条の全文を記載します。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


軍隊は持ってはいけない。戦争はしない。まさに理想的な話です。宗教家がこういったことを語るのでしたら、それでいいでしょう。宗教とは理想を説くものだからです。

しかし、憲法はそれではいけません。あらゆる可能性を考える必要があります。日本のそばには日本を射程範囲内に収めているテポドンを持つ北朝鮮や、核保有国の中国があります。これらの国がいつ日本に攻めてこないとも限りません。そんなことはないだろうと思うのかもしれませんが、中国は第2次世界大戦以降も隣接するほとんどの国と紛争や戦争を起こしています。中国とはそういう国なのです。もし、他の国が日本を攻めた時、日本に軍隊がなかったらどうするのでしょう。男達は殺されるか奴隷として扱われ、女達はいわゆる「慰安婦」とされてしまうでしょう。

また、軍隊というのは抑止力でもあります。中国や韓国・北朝鮮が日本に対して外交で強気に出ることが出来るのも、日本が戦争を仕掛けてこないという保証があるからです。もし日本が戦争が出来るというのであれば、ここまで強気に出られることはないはずです。もちろん刀は持つだけで良く、抜く必要はないのです。

こういうことを書くと、9条改正反対派の人は、「こいつは好戦派だ。日本が戦争することを望んでいる。」とでもレッテルを貼るのでしょう。ですが、もちろんわたしは戦争を望んでなんかいません。戦争なんかしたくはありません。平和がいいに決まっています。しかし、奴隷の平和は望みません。もし中国や北朝鮮が日本を攻めてきたら、わたしは武器を取ります。わたしは自分の親を守りたいし、友人や好きな人を守りたい。この愛する日本の国を守りたい。家族や友人が殺されても武器を取らないなんて卑怯なことはわたしには出来ません。武力を持たないということは、そういう状況でも黙って見ているということです。9条改正反対派の人たちはそこまでの覚悟があるのでしょうか。

「奴隷の平和」という言葉を調べていたら、小泉前首相がわたしと似たようなことを述べていました。下のホームページをご参照ください。
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2003/0612.html

また、海外派兵を認めないというのは、例えば湾岸戦争でイラクがクウェートに侵攻しましたが、それを黙って見ているということです。よその国が侵略されようが、よその国民が虐殺されようが関係ないということです。わたしにはその神経がわかりません。そのことを気の毒に思わないのでしょうか。

「9条があったから、日本は戦後60年間戦争をせずに済んだ」という声もありますが、世の中はそんな単純ではありません。さまざまな要素が絡まりあって、日本は戦争に巻き込まれずに済んだだけなのです。

現実として、日本は自衛隊という名の軍を保有しています。これは世界が認めていることです。詭弁を弄して自衛隊は軍ではないと言い張っても通用しません。それよりも自衛隊を軍隊と認めて、そのうえで日本は自衛のためのみに軍隊を用いると憲法で宣言すればいいのではないでしょうか。

また、戦争をメリット・デメリットで語るのが適切かどうかはわかりませんが、今の日本に戦争を仕掛けるメリットというものは全くありません。今の日本には領土拡張する必要もなく資源獲得に走る必要もありません。この現代にいわゆる「侵略」を行なったらどうなるかは、イラクのクウェート進攻の結果を見れば分かることでしょう。

海外派兵については別に考えるべきだと思います。必要な時には派兵すべきだと思いますが、アメリカに無条件に追随する必要はありません。日本が主体的に行動すべきでしょう。

憲法第9条についてはさまざまな意見があります。様々な議論が交わされるべきだと思いますが、つまらないレッテル貼りで自分と異なる意見を封じることだけはないようにしてほしいものです。


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