ひとひらのことのは

先日インターネットでニュースを見ていると、こういう記事がありました。

卒業式シーズンを前に、東京都立高31校に通う生徒の保護者らが23日、東京都教育委員会に「日の丸・君が代を強制せず、内心の自由を保障した式にしてほしい」とする要請書を提出した。

そもそも、こういう人たちは「国旗や国歌を強制しないことを強制している」のですよね。日本という国家に属している以上は、国の象徴である国旗や国家を尊重するのは当たり前のことです。これは日本以外でもそうです。国からの費用で教育というものは行なわれているわけですから、卒業式の式典などで国歌を歌うのも当然のことだと思います。百歩譲って歌いたくない生徒は歌わなくてもいいとしても、少なくとも教師は歌うことを指導すべきです。教師が国旗・国歌に反対だろうと関係ありません。自分の思想と違うから教えないというのでは教師失格です。

それに、国際化と言いますが、自分の国の国歌すら歌えないようでは、「おまえはどこの国の人間だ?」と言われて恥をかきます。外国の国歌を調べてみるとよくわかるのですが、君が代はとても平和な歌詞です。しかも短歌という日本の素晴らしい文学が元になっています。外国の国歌を見ると「武器を取れ」だの「敵の砲火をついて進め!」だの、物騒なものばかりです。そういうのもわかっていて日の丸・君が代に反対しているのでしょうか。

こういう人たちは、フィギュアスケートの荒川選手が日の丸を持ってウィニングランをしていることにも反対をしてほしいものですね。「侵略の象徴である日の丸を持ってウィニングランするとは、アジアの人民への配慮がない」などと主張してきそうです。

でも、いくら何と言ってもわからないのでしょうね。こういうのは宗教みたいなものですからね。と宗教家のわたしは思うのでした。


言論の自由は絶対か?

平成18年02月09日

世界では、イスラム教の創始者であるムハンマド(マホメット)の風刺画が大きな波紋を引き起こしています。多神教の日本人にはこの問題はわかりにくいものかもしれません。

マスコミはしばしば言論の自由を声高に叫びます。しかし、言論の自由とは絶対のものでしょうか。言論の自由があるからと言って、何でもやっていいというわけではありません。今回のムハンマドの風刺画はイスラム教徒の心を深く傷付けました。

なぜかというとイスラム教では偶像崇拝が禁じられています。教会にはイエス像、寺院には仏像というような偶像(キリスト教の教義では偶像崇拝は禁じられています)は、イスラム教のモスクには存在しません。ムハンマドはイスラム教の中でも大変重要な人物ですが、人間なので崇拝の対象としてはならず、ムハンマドの肖像画というのも存在しません。

そのムハンマドの絵が異教徒によって描かれ、しかも風刺されたのです。イスラム教徒が怒って当然だと思います。イスラム教徒に対して敬意を払っていないから、こういうことができるのでしょう。しかも、この風刺画を載せた新聞の編集者はキリストの風刺画は拒否したそうです。あきれて物が言えません。

しかも、この問題に火を注ぐかのようにフランスの漫画雑誌はムハンマドを扱った漫画を掲載したそうです。あくまでも一部の人間ですが、欧米人はどうして自分を基準として物を言うんでしょうか。捕鯨問題にもよく表れています。人種差別の意識も心の奥底にあるんでしょうね。

イスラム教徒も立腹するのはわかりますが、冷静に考えなければいけません。暴動などはイスラム教の神様の望むところではないでしょう。

言論の自由は結構ですが、相手を尊重するという気持ちを忘れないでほしいものです。


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