ひとひらのことのは

「きょうの発言」最終回

平成22年07月03日

「きょうの発言」第12回を転載いたします。


「神様も後押し」

寒さも和らぎ桜が咲き始めた。四月からの新生活に希望を膨らませている人も多いだろう。当社にも、高校や大学に合格した人がお礼参りに来られるが、「おかげさまで合格しました」という報告を聞くと、私もうれしくなる。

中には残念ながら不合格だった人もいる。これから浪人する人や第一志望ではない学校に進学する人もいるだろう。自分だけが取り残されたという不安を感じたり、引け目を感じることもあるかもしれない。

だが、人生に無駄なことなど何一つないと思う。少しくらい寄り道をしてもいいのだし、その分を取り返すことは決して難しいことではない。その経験をどう生かすかが大事なのだ。 

私は大学卒業後、フランス留学という形で多くの人とは違う道を歩むことになった。将来に不安や焦りがなかったといえばうそになるが、自分で選んだ道だからと勉強に励んだ。

身に付けたフランス語は、実はもうかなり忘れてしまったが、そこで得た経験は血となり肉となっている。外国に暮らしたからこそ、日本の素晴らしさを再認識できたし、そこで学んだことを、神職という立場で多くの人に伝えていきたいと思っている。

逆境の中でこそ、人の真価が問われる。時には迷うこともあるだろうが、自分を信じていればきっと道は開けるし、正しいと思う道を進んでいれば、応援してくれる人は必ずいる。頑張る姿を見て、神様も後押ししてくれるだろう。そのことを心に留めておいていただければと思う。

今回の新聞への執筆で、言葉の持つ重みと、思いを伝える難しさをあらためて実感させられた。短い間ではあったが、読んでいただいた方に、心よりお礼を申し上げたい。

(平成20年3月25日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


「きょうの発言」第11回

平成21年12月07日

「きょうの発言」第11回を転載いたします。


「いじめに立ち向かう」

昨年、壮絶な「いじめ」に立ち向かう女子高生が主人公のドラマが放映され、大きな反響を呼んだ。だが私は、「いじめ」のシーンを目にしてやり場のない怒りを感じ、どうしても見続けることができなかった。

私は小学生から高校生の時までいじめを受けていた。机一面にチョークで落書きをされたり、かばんや教科書に穴を開けられたりしたこともあった。卑劣ないじめに強い憤りを感じながらも、私には抜け出すすべが分からなかった。

しかし、このままではいけないという思いから、大学進学をきっかけに接客業のアルバイトに挑戦したり、トレーニングで体を鍛えたりして、自分に自信を持とうと努力した。そのうちに信頼できる友人も増え、「人生の楽しさ」を実感できるようになったのである。

今振り返ると、精神的に最もつらかったのは小学生の時だったように思う。子供には、学校が「世界」そのものといっても過言ではない。学校でのいじめが居場所を奪い、この世のすべては暗闇に包まれていると思わせてしまう。

いじめられている子供の親や教師にお願いしたい。「いじめ」に早く気付いて、学校以外にも居場所があるということを伝えてあげてほしい。外には明るい世界が広がっていることを知るだけでも、彼らには救いとなるに違いないのだ。

もちろん、いつかは本人が、「いじめ」に立ち向かわなければならない。しかし、渦中にいる子供は自分を否定的に見てしまい、自分の存在意義すら見失っているのだ。どんな方法でもいい。まずは自己を肯定できる自信を付けさせることが必要だ。きっかけさえ作ってあげれば、自分の足で歩き出せるだろう。その手助けをするのが大人の役割だと思う。

(平成20年3月18日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


「きょうの発言」第10回

平成21年08月22日

「きょうの発言」第10回を転載いたします。


「現代美術が身近に」

私の趣味の一つに美術鑑賞がある。留学先のフランスで数々の名画に触れたことがきっかけだった。機会を逃すと二度と見られない作品だと聞くと、たとえ遠方であっても展覧会に足を運ばずにはいられない。昨年は「奇想の画家」と称される伊藤若冲の展覧会を京都まで見に行き、「動植綵絵」全三十幅を堪能した。

これまで数多くの美術館を訪れたが、その中で五本の指に入るくらい素晴らしいと思うのが、熊本市現代美術館である。展覧会はほぼ欠かさず見ているが、期待を裏切られたことはない。展覧会の内容はもちろん、展示の仕方も工夫がされていて、自分が繁華街のビルにいることを忘れさせてくれる。

現在開かれている、段ボールを使った作品で知られる日比野克彦さんの展覧会では、段ボールで作った「石」で「石垣」を作るという企画に誰でも参加できる。それぞれが好きな形の「石」を作っていいのだ。それが組み合さって一つの作品になる。
また、山鹿灯籠や肥後象嵌など県内の伝統工芸作家と共同製作した作品も展示されている。こういう話を聞くと、遠い存在であった現代美術が、途端に身近なものに思えてはこないだろうか。

この美術館を魅力的なものにしてきたのは、館長の南嶌宏さんの力が大きいと思う。その南嶌さんが今月末で退任されるのは残念だが、新しい館長とスタッフの皆さんが、今まで以上に素晴らしい美術館にしてくれることを期待したい。

美術館内の無料で入場できるスペースにもさまざまな作品が展示されている。それらを見て現代美術に興味を引かれたら、ぜひ展示室にも足を踏み入れていただきたい。扉の向こうには、きっと新しい世界が広がっているに違いない。

(平成20年3月11日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


「きょうの発言」第9回

平成21年03月10日

「きょうの発言」第9回を転載いたします。


「神職は世襲?」

神社というと世襲のイメージがあるようで、私もよく、「代々神主さんをされているのですか?」と聞かれる。山崎菅原神社に奉職しているのは祖父の代からだが、それ以前も代々神職をしていたようだ。

確かに神社は血縁の者が継ぐことが多いのだが、それ以外の人に神職への道が閉ざされているわけではない。神社とは無縁の家に生まれた人も神職になることができる。後継者かどうかにかかわらず、神職になるには神道系の大学や神職養成機関などで神道を学び、資格を取得する必要がある。現在では女性も神職になることが可能だ。

世襲というと、「親の七光り」というように、親や先代の威光の恩恵を受けられるといった利点がある。だが、利点はそうしたものばかりではない。

私は幼いころから祖父や父が神職として奉仕する姿を見てきた。一般の人には想像しがたい神社独特の世界も、私にとっては当たり前のものとして受け止めてきた。神職としてのあるべき姿も自然に身に付いたように思える。これは、神職の家に生まれたからこそである。伝統や心構えといった無形の財産を受け継ぐことができるのが、世襲の最大の利点だと思う。

しかし、世襲の人間ばかりが幅を利かせるのは、もちろんあまりいい傾向ではない。私が以前奉職していた神社では、神職を目指す実習生を受け入れていたが、実家が神社でない人から学ぶことも多かった。神職の子弟には常識であることが、世間ではそうでないことに気付かされたこともあった。

このように、世襲の人間が受け継いできたものに、そうでない人間が新しい風を吹き込む。そうして互いに刺激し合うことで、社会に活力が生まれるのではないだろうか。

(平成20年3月4日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


「きょうの発言」第8回

平成20年11月28日

「きょうの発言」第8回を転載いたします。


「イチハラヒロコ恋みくじ」

山崎菅原神社には「イチハラヒロコ恋みくじ」という一風変わったおみくじがある。このおみくじは、言葉や文字を使って作品を作る現代美術作家のイチハラヒロコさんと、大阪・布忍神社の宮司である寺内成仁さんが共同で創作したものだ。おみくじと現代美術という意外な結び付きに興味を持ち、三年前から当社でも、このおみくじを置くようにした。

このおみくじには、吉凶は書かれておらず、格言のような短い言葉が大きな文字で書かれているだけだ。「このおみくじはどう解釈すればいいのですか?」と聞かれることも多い。そこで、「このおみくじには大吉や凶はありません。言葉の意味を自分で読み解くおみくじなのです」とお話しすることにしている。

このおみくじには「お気の毒。」や「別れそう。」と書かれたものもあり、それらを引いてがっかりする人も多い。しかし実は、「あなたは今とても幸せなのに、それに気付いていないことが気の毒だ」という意味かもしれないし、二人の恋を邪魔する人と決別できる、という意味かもしれない。おみくじに書かれている言葉をどう解釈するかは、自分次第なのだ。

「言霊」という言葉があるように、日本では古くから、言葉には不思議な力が宿ると信じられてきた。このおみくじはシンプルだが、それだけに言葉そのものの持つ力が心に強く響くように思える。

おみくじは決して予言ではない。大吉を引いたからといって、必ずいいことが起きるわけではないし、逆もまたしかりである。おみくじの吉凶に一喜一憂するだけでなく、言葉の持つ深い意味を感じ取り、自分を見つめ直すきっかけにしてほしい。そして、ご自分にとって、よりよい道を選んでいただければと思う。

(平成20年2月26日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


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