ひとひらのことのは

「きょうの発言」第7回

平成20年11月09日

「きょうの発言」第7回を転載いたします。


「言葉の言い換え」

先月から熊本県では、「障害者」の表記を原則として「障がい者」とするようになった。障害の「害」という漢字の表記には「害悪」など負のイメージがあるので、障害者に配慮したということだ。

似た話に「こども」の表記の問題がある。最近では「子供」ではなく「子ども」と表記する傾向にある。「こども」は大人のお供ではないし、「こども」を見下している印象を受けるので、「供」という言葉はふさわしくない、というのが「子ども」と表記する理由の一つにあるそうだ。

こうした考えに従うと、「障」には「さまたげ」という負のイメージがあるから、「しょうがい者」と呼ぶようにしようという動きも出てくるだろう。そう表記しようとすでに提唱している人もいる。

配慮が必要ないとは言わないが、字の表面的なイメージに着目し、「差別的である」などとして、言葉を言い換えることが問題の根本的な解決につながるのだろうか。かえって障害者を特別な存在として扱ったり、「障害者」や「子供」と表記する人間は差別意識を持っているというレッテルを貼ったりすることにもなりかねない。

問題なのは言葉そのものではなく、それを使う人間の側にあるのだ。そのことをきちんと認識しておかない限り、これからも言い換えや表記の変更が繰り返されることになるだろう。

結局は一人一人の意識が変わらなければ何も変わらない。私たちが障害者や障害、不当な差別を受けている人や差別そのものへの理解を深め、間違った知識や偏見をなくしていくよう努力しなければならない。このことが、それぞれの違いを意識することなく、お互いを尊重し、誰もが暮らしやすい社会につながっていくのではないかと思う。

(平成20年2月19日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


「きょうの発言」第6回

平成20年07月13日

「きょうの発言」第6回を転載いたします。


「真の国際化」

昨日は「建国記念の日」であったが、「建国記念の日って何の日?」と思っている人も多いのではないだろうか。私も子供のころはどういった日なのかを知らなかった。

「建国記念の日」は、明治五(一八七二)年に制定、戦後に廃止された「紀元節」という祝日が、名称を変えて復活したものだ。紀元節は初代天皇の神武天皇が即位したとされる日を祝う日だった。国民の祝日に関する法律では、「建国記念の日」について、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日としている。

世界の多くの国でも、建国や革命、独立を祝う日が制定されている。フランスでは七月十四日が革命記念日であり、私が留学していたリヨンという町では、花火が打ち上げられたり屋台が出たりとお祭り騒ぎであった。どこの国でも建国や革命にまつわる記念日は国の一大イベントで、国民こぞって祝っており、一部の祝賀行事を除くと特に目立ったイベントもない日本とは対照的だ。

このように、外国人に比べて日本人は国の成り立ちについて関心が薄かったり、「自分が日本人であること」を普段はあまり意識していない。私も留学するまではそうであった。しかし、フランスでは日本人として質問を受けたり意見を述べる機会も多く、「日本人であること」を強く意識するようになった。日本のことをもっと知りたいと思うようにもなった。

国際化の時代と言われるが、外国語を話せさえすればいいわけではない。自国の歴史や文化を知り、日本人としての誇りを持つことで、外国や外国人と対等に接することができる。根拠のない優越感や劣等感を持つこともなく、理解し合うこともできるだろう。国際人である前に日本人であることが大切なのである。

(平成20年2月12日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


「きょうの発言」第5回

平成20年04月20日

「きょうの発言」第5回を転載いたします。


「ぜひ骨髄提供を」

先月、骨髄バンクのドナー(提供者)登録者が三十万人に達した。また、昨年一年間の骨髄移植例数は過去最多となったが、私はその中の一例にかかわる機会があった。

私は大学時代に骨髄バンクに登録したが、提供の機会がないまま十年以上が経ち、昨年ようやくドナーに選ばれたのだった。もちろん骨髄を提供することにためらいはなかったので、提供を決めた。

事前に健康診断や骨髄採取後に自分自身に輸血するための採血などで病院に通い、採取前日に入院した。採取は安全性に配慮されているとは聞いていたが、前日は不安でよく眠れなかった。採取は全身麻酔をかけ、ボールペンの芯ほどの太さの針を皮膚の上から刺し、注射器で吸引して行なう。脊髄から骨髄を採取すると誤解している人も多いが、そうではなく腸骨という骨盤の骨から採取する。

採取後は採取部位に痛みが残ったが、しばらくすると消えると聞いていたのでそう心配はしていなかった。それに、病気と闘う患者さんを思えば大した痛みではなかった。今では痛みも消え、以前と変わらない生活を送っている。

骨髄提供では入院時の支度金や交通費などの支給を除き、金銭が支払われることはない。また、骨髄提供に伴う後遺症のリスクは極めて低いが、決してゼロではない。

それでも骨髄提供をする価値は十分にあると思う。人の命を救う機会はそうあるものではないし、健康のありがたみを再認識するいいきっかけにもなる。

熊本県の骨髄バンクのドナー登録者数は、残念ながら人口比で全国平均をはるかに下回っている。皆さんにも骨髄移植への理解を深めていただき、一人でも多くの人が骨髄バンクに登録されることを願っている。

(平成20年2月5日付の熊本日日新聞夕刊より転載)



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「きょうの発言」
骨髄移植顛末記(骨髄提供までの経緯を詳しく書いています)


「きょうの発言」第4回

平成20年03月27日

「きょうの発言」第4回を転載いたします。


「式年遷宮の"役割"」

山崎菅原神社は、平安時代に創建された歴史ある神社で、菅原道真公をおまつりしている。古くより学問の神様として、また慶徳校区の氏神様として、「天神さん」などの愛称で親しまれてきた。

私が宮司になって以来、力を注いでいるのが境内の整備だ。老朽化した参道を改修したり、参道の周囲に石を敷き詰めたりして、参拝しやすい環境を整えた。またアジサイなど花が咲く植物を植え、季節を感じられるようにした。境内のバリアフリー化がいまだ進んでいないといった課題は残るものの、近頃では、「雰囲気が素晴らしいですね」とおっしゃっていただくことも増えた。

そうした声を聞くと、初めて伊勢の神宮に参拝した時のことを思い出す。ご正殿(しょうでん)と呼ばれる中心の社殿に続く長い参道の周囲には多くの木々が茂る。中には樹齢千年を超えるものもあり、境内は荘厳でありながらも柔らかい空気に包まれていた。まさに癒しの空間だと感じ、「ここには神様がいらっしゃるのだな」と自然に思えた。

その伊勢の神宮で、平成25(2013)年に「式年遷宮」が行なわれる。建物を全て新造し、神宝や神様の衣服も新調して、ご神体を新しい社殿におうつしする。約1300年にわたり続く20年に一度の大祭で、古来最も重要な祭儀の一つとされてきた。

この式年遷宮には多額の費用が掛かり、今回は約550億円が必要とされる。社殿を建て直すなど無駄ではないかという声もあるが、古い材木は地震で被災した神社の復旧に再利用されるなど、大切にされている。また、宮大工や美術工芸家を養成したり、優れた伝統工芸を継承し後世に伝えたりする役割もあることをぜひ知ってもらいたい。

(平成20年1月29日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


「きょうの発言」第3回

平成20年02月25日

「きょうの発言」第3回を転載いたします。


「熊本の魅力」

私が宮司を務める山崎菅原神社は、大正4(1915)年から、現在地(熊本市桜町)に鎮座している。「桜町にあるのになぜ山崎菅原神社なのか」と疑問に思う方もいるだろう。参拝者からもよく同じ質問を受ける。

昔は、現在の桜町一帯から新市街、熊本放送がある辺りまでの区域を山崎町と呼んでいた。江戸時代は合同庁舎前の桜橋付近に鎮座していた当社は、西南戦争で社殿を焼失し、鎮台開設に伴い境内地が収用されたため、山崎新道(現在の肥後銀行本店の道向かい付近)に遷座した。このころから地名にちなんで山崎菅原神社と称されるようになったようである。

今月初め、当社と手取天満宮(上通町)、そして約200体の地蔵が並ぶ日限(ひぎり)地蔵(水道町)を参拝する「初詣さるく」が、熊本国際観光コンベンション協会の主催で開催された。参加者には、熊本市内に住みながら当社の存在を知らなかったという人も多かった。

皆さんは熊本の観光地や史跡についてどれだけご存じだろうか。知っているようで、地元のことは案外知らないものだ。しかし県外からの観光客が私たちに道や名所を尋ねた時に、「分からない」という答えが返ってきたら、がっかりするに違いない。

九州新幹線の全線開業を控え、県内各地で観光施設が作られたり、さまざまなイベントが開催されたりしている。こうしたことももちろん大事だが、まずは私たちが熊本のことをよく知るべきではないだろうか。あらためて県内の観光地に出掛けたり、図書館で史跡について調べるのもいいかもしれない。私たちが新たな魅力を発見して熊本の良さを引き出し、広くアピールすることが観光客の誘致には不可欠だろう。

(平成20年1月22日付の熊本日日新聞夕刊より転載)


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